SSブログ

プノンペン [カンボジア]

シェムリアップには2週間以上滞在してしまった。
よもや観光地でここまで長居することになるとは思わなんだ。
その最大の要因は宿とゲストハウスで出会った人たちと言っても過言では無い。
人のせいにすんなと言われそうだが、良い宿に良い人達が集まるとそこは最高のたまり場になってしまう。
このままではダメだなーと思いまながらもダラダラと過ごしてしまった。
でも楽しかったので良し。


さて、首都プノンペンである。
いろいろと曰くのある街だが、当然目的はその曰くのある場所に行くためである。
感想から言うと、この街は、好印象というものからかけ離れたものになってしまった。
残ったものは「嫌悪感」「虚脱感」「疑問」「怒り」だけである。

基本的にこのブログはヨシが深く考えたことや感じたことを載せることはない。というか気がない。
「世界は楽しいことばかりだぜ!」
がモットーなわけである。
ただ世の中楽しいことばかりでも無いわけで、ここは避けて通れないかな、と。

カンボジアという国はつい30年ほどまで戦争をしていた国で、当時の指導者ポル・ポトによって大量の一般市民が大虐殺された経緯がある。
こんなに明るく暮らしてる人々からは当時の名残は感じ取れないが、確実にその歴史は残っていて、その忌まわしき教訓として残されているのがキリング・フィールドとトゥールスレンである。
いわゆる虐殺記念館というヤツだ。
この大虐殺で当時のカンボジアの人口の5分の1(約170万人)が殺されたという。
理由を説明するのはポル・ポトの政治思想やら共産主義について説明しなきゃならないので割愛する。
興味の湧いた人は情報化社会の強みをフル活用していただきたい(要するに調べてください)。


まずトゥールスレン。
市街地の真っ只中に位置するこの施設はもともと学校だったものを改装して収容所にした場所らしい。
「反革命分子の可能性がある者」は片っぱしから逮捕されここに運び込まれて、拷問を受け、殺される。
高い塀から見える建物は一見普通の学校施設にしか見えない。
けど中に足を踏み入れたとたんに広がっていたのはまったく別の空気だった。
形容するのが難しいが、例えるなら・・・・・・分からん。
「人が死ぬ」という事象がその場で積み重なることでしか生まれない雰囲気というか、なんというか。
事前にいろいろなサイトを調べて来たにも関わらず、現場の雰囲気は想像を超える物だった。
「戦争」や人の「死」というものを小説や映画、マンガやゲームでしか知らない自分にとって、この空気はリアルすぎる。
正直吐き気すら覚えた。

あまり乗り気では無いが写真を載せる。
見る見ないは自由だが、知らない人は見たほうがいいのかも。うん、ご自由に。

IMGP4755.jpg
笑顔禁止

IMGP4756.jpg
クメール・ルージュが撤退の際に収容されていた人間はほとんど皆殺しにされる
このベッドにもベトナム軍が踏み込んだ時には死体があったという

IMGP4757.jpg
その写真

IMGP4760.jpg
施設のルール
以下Wikipediaより抜粋
1. 質問された事にそのまま答えよ。話をそらしてはならない。
2. 何かと口実を作って事実を隠蔽してはならない。尋問係を試す事は固く禁じる。
3. 革命に亀裂をもたらし頓挫させようとするのは愚か者である。そのようになってはならない。
4. 質問に対し問い返すなどして時間稼ぎをしてはならない。
5. 自分の不道徳や革命論など語ってはならない。
6. 電流を受けている間は一切叫ばないこと。
7. 何もせず、静かに座って命令を待て。何も命令がなければ静かにしていろ。何か命令を受けたら、何も言わずにすぐにやれ。
8. 自分の本当の素性を隠すためにベトナム系移民を口実に使うな。
9. これらの規則が守れなければ何度でも何度でも電流を与える。
10. これらの規則を破った場合には10回の電流か5回の電気ショックを与える。

IMGP4766.jpg
殺された人々

IMGP4769.jpg
処刑されると分かっていてどのような気持ちで写ったのか

IMGP4768.jpg
子供も関係なし

IMGP4774.jpg
教室をレンガで区切って作った独房

IMGP4775.jpg
内部
左隅にあるのは弾薬箱(トイレ)

IMGP4776.jpg
あちこち血痕が残ってる

IMGP4783.jpg
拷問器具
使い方すら想像できん

IMGP4762.jpg
拷問器具
下のカメに水を張って、人を吊るして顔をカメに突っ込む

IMGP4781.jpg
処刑の絵
この絵は生き残った画家によって描かれた

IMGP4789.jpg
昔は実物が展示されていたらしいが現在は撤去され写真のみになっている
カンボジアの国土が骸骨で埋め尽くされ、川は血で赤く染まっている

続いてキリング・フィールド。
読んでその名の通り「殺し場」である。
もともと中国人の墓地だった場所を破壊して、このとんでもフィールドを作ったのだそうだ。
当初はトゥールスレンなどの収容施設で殺していたのを、施設から漏れる悲鳴が激しすぎたため、死刑場を郊外に移した。
中に入るとトゥールスレンのような閉塞感などはないためホッとするのだが、正面に立っている記念碑の中を見て愕然とする。
およそ十数m(忘れた)の記念碑の下から上まで犠牲者の骸骨で埋め尽くされている。

IMGP4800.jpg
その記念碑

IMGP4804.jpg
骸骨の山

IMGP4813.jpg
犠牲者の発掘のために掘り起こされた穴
たぶん今立って撮影してる下にもまだ埋まってる

IMGP4817.jpg
処刑するのに声のでかい人間はうるさいので吊るして処刑するために使われた樹


理由も無く同族で殺し合うのは人間くらいだ、というのを何かの本で読んだことがある。
こうした過ちすらまた忘れて繰り返す時が来るのだろうか。
キレイ事を言うつもりはさらさら無いがせめて学習したほうがいいのではないか。
つくづく政治というものはバカに任せるとロクでもないことになるという良い例だと言うのに。
どっかの国はとっとと総選挙したほうがいいと思う。


IMGP4822.jpg
帰りがけに見かけたトラック
イナバ物置みたいなことになっとる


《旅情報》

<移動>
シェムリアップ→プノンペン
手段:バス
料金:6.25$(バス会社による)
時間:約6時間

<宿>
・ キャピトル・ゲストハウス(キャピトル1から3まである)
※3人でシェアのためシングル不明
トリプル(ホットシャワー、TV、テラス付き)12$
WiFiあり
非常に清潔で広い部屋でした
nice!(1)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行
Ads By Google

nice! 1

コメント 6

つばさ

すごいね。。。でも激しく隠さず残してあるから、その時代のつらさを知らない今の人も学べるからいいね。日本の戦争も同じだね。今のうちにおじいちゃんとか戦争言った人から話をきいておかないと本当にもったいないよね。それで絶対に繰り返さないようにしなきゃね。
by つばさ (2011-02-21 22:00) 

とも

今も世界の中ではいろんな状況におかれてる人がいるのだものね。
そういう事実から眼をそらしてはいけないし、
又 それを生み出すのも人間だし、 そしたらなくせるのも人間だものね。
今 ここにアップしてくれたことで 少なくともblogをみた人は何かを感じるよね。
by とも (2011-02-21 23:39) 

いずみおばさん

つらすぎる内容をちゃんと見に行ってくれて、ここにアップしてくれてありがとう。人間ってこういうこともしうる存在なのだ、ということを改めて肝に銘じます。カンボジアの方に会ったときは、この方たちはこういう歴史をつい最近経験しているんだ、と頭に入れて接することもできるし。日本は戦後60年、島国だしちょっとのんきな温室育ちのような国民とも言えると思うので、気をつけないといけないと、思います。
by いずみおばさん (2011-02-22 09:05) 

ヨシ

>> つばさ
カンボジアとか意外に知られてない気がする。
実際知らなかったし。
確かにじいちゃんからも聞きたいけど、あの手の話始めると、、、ねぇ^^;
by ヨシ (2011-02-26 14:06) 

ヨシ

>> とも
きっかけにでもなればいいかな。
地雷でも悩まされてる国だし戦争の根は深い。
by ヨシ (2011-02-26 14:07) 

ヨシ

>> いずみおばさん
まぁそれが日本のいいところでもあるような。
でも日本も戦争をしていたし、日本が唯一の被爆国って言うのは結構世界中の人が知ってるみたいです。
その国の歴史やバックグラウンドを知るのは大事かもですね。

by ヨシ (2011-02-26 14:11) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。